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心療内科の受診と快復について~①体調編~

最後の投稿から1年がたってしまいましたが、

この間私はずっと心療内科に通院していました。

現在は通院終了し、はれて快復した身です。

そこで、このブログの記事に備忘録として自身の体験を書きつつ、

心療内科にかかろうか迷っている、あるいは現在かかっているという方に

ヒットしたときに私の例を知ってもらうために、

なるべく詳細に体験談として載せることにしました。

長文になるかと思いますので、①体調②心情にわけます。

私自身の素性、性別や年齢・職業については言及しません。

 

 

一昨年10月から昨年11月のおよそ1年の間、心療内科に通院しました。

理由は、内科や消化器科など関係するであろう病院をいくら訪ねても異常がなく、

最終的に心療内科を勧められたためでした。

症状としては、朝電車に乗っているときの吐き気と実際にえづく感覚があったこと、

またそうならないかの不安から動悸がひどくなり、心拍数があがって冷や汗が出て、

息苦しくなってもう無理かも、というところでおさまるような感覚があることでした。

特に電車でそうなることが多く、途中下車したり、

親切な方に席を譲っていただくことはしょっちゅうでした。

 

そのような症状がたびたび出るため、周囲からの勧めで心療内科を受診したところ、

広場恐怖が強く出ていると診断され、治療方針として通院と薬の処方をとることになりました。

そこでは2週間に1度、臨床心理士によるカウンセリングと

医師による診察をしてもらいました。

臨床心理士の方とは会話方式のカウンセリングで、

会話することによって自分のできること・できないことを明らかにし、

何が不安なのか自覚したうえでそれを少しずつ克服していったのに対し、

(これはいわゆる「暴露療法」だったのだと思います)

医師とはいわゆる診察で、医師にしかわからない知識が必要なことを仰ぐ、

例えば精神面の変化や実際の行動を踏まえて、どのタイミングで薬を服用したか、

あるいは服用すべきかについて相談するというものでした。

当初は外食や電車に乗ることすら不安が強く、薬を飲まないと外出できないほどでした。

しかし、通院を続けることで自分でもわかるくらい、

手に取るようにはっきりと良くなっていくのを感じることが出来ていきました。

もちろん順調にできることが増えていったり、良いことが続いたりしていたわけではありません。

すこし調子のいい波があると、次には不調の波が来る。

昨日できたことが、今日はできなかった。

そんなことが何度も何度もありました。

その度に「なんでこんなこともできないんだ、他の人はいとも簡単にできているのに」

と自分を責めて、うつのように沈むことも頻繁にありました。

それでも、2週に1度のカウンセリングで、できたこととできなかったことを

正直に話すことで、臨床心理士の方からアドバイスを頂いたり、

自分自身でも新たに気付けることがあって、

通院を繰り返すうちにできることが目に付くようになってきました。

それでも発作はでる、だけど毎日じゃないよねって考え方を変えたりすることで、

出来ないことが出来ていく自信がついていったように思います。

最終的には、これが完治の決め手だったのではと思っています。

 

通院以外では、ウォーキングしたり、車を運転することで

不安を頭からおいやるようにしていました。

毎日と決めると続かない場合に自分を責めてしまうので、

・大体週に2回くらい、曜日も決めないで20~30分くらいウォーキングする。

・運転は好きなときに好きなだけする。

くらい大ざっぱに決めていました。

そして、できなくても自分を責めないようにしていました。

天気が悪かったかもしれないし、なんだか気分が乗らない日に無理やりやることは

精神的な治療にそぐわない気がしたからです。

やはり体を動かすことは大切で、特にウォーキングは家にいるよりも気分が晴れるし、

歩きながら横を通る車の流れを見て、

「こんな自分であっても社会から取り残されたわけではない」

と思うこともできました。

 

4月頃に自身の方向性について大きな変化があり、発作も週に1度くらいになったのですが 、

その頃から自信からかだんだんと発作の頻度が減り、

薬も1錠まるまるの服用から半錠でよくなりました。

 

夏ごろからは発作はひと月に1度あるかないかくらいになり

7月には旅行にも行くことが出来ましたが、一昨年の11月、

通院したての際に旅行をした際にはほとんど食事できなかったり

電車やバスに恐怖心を抱いていたころに比べると、

はるかに旅行という非日常感を楽しむことができたように思います。

 

昨年11月の通院で、病院側から思い切って通院終了をしてみてはと打診されました。

私自身も、病院ではよい状態の報告が続いていたため、

「もう病院を終わりにするか、通院頻度を下げてもよいのではないか」

と思っていた折でした。

晴れて通院終了となって、胸いっぱいに広がる解放感と安堵感に思わず涙が出ました。

 

心の底から嬉しかった。

 

この「嬉しい」ということを、どんな言葉でだったら表せるんだろうか、伝わるんだろうか。

ああ、こういう時に人は笑うんだな、歌うんだな、涙を流すんだな、

そういった思いの詰まった行為はきっと言葉にしなくとも伝わるんだろうな。

そんな風にあれこれと考えを巡らせました。

現在では、不安からくる発作はもう数か月近く出ていません。

最後に出たのは、おそらく昨年の10月頃だったでしょうか。

薬を服用しなくとも不安に対処することが出来ています。

不安や不安からくる発作を心配せずに暮らすことができる生活は

こんなにも楽しいのか、 こんなにも楽なのか、ということを

改めて実感している毎日です。

 

 

ここまで体調面についての通院による快復をメインに記述しましたが、

私はとにかく、心療内科にかかってよかったと思っています。

自分一人、あるいは専門知識のない周囲の助けのみでは

この期間でいまの体調にたどりつくことはできなかったと思います。

なので、もしこれを読む方が少数でもいらっしゃるのであれば、

私は「辛くなったら早めに心療内科にかかる」ことをおすすめしたいです。

 もちろん、そうなる前に原因を除去したり自身の考え方を変える方がよいのですが、

人間だれしも無理をしすぎることはあります。

だから、そんなときに頼る場所がちゃんとある、

そして頼ることに何の躊躇もいらないということを伝えたいのです。

 

次では私がこの症状を克服するにあたって、どのように考え方を

変化させていったのかについて記述したいと思います。

 

 

framboise

 

無題

 

失敗したら、またやり直せばいい。

 

 

崩れたら、また積み上げ直せばいい。

 

 

多分、挑戦するほうがいいことはわかっているのに、

失敗したときが怖いから、言い訳を探して逃げているのだ。

 

 

そんなことは自分でよくわかっていて

それでもダメな自分に向き合うのがいたたまれなくなるから

 

あの人になれたらなって思うんだろうな

 

 

私は私と胸を張って行きたい。

 

 

まっすぐな優しさに胸が痛いと言った

 

タイトルは、aikoの「えりあし」です。

失恋の歌だけど、なんだか前向きになれる曲だなと思います。

ちょっと一歩踏み出してみようかなとか、

綺麗な思い出で心があたたかくなるような…

 

 

つらいときに感じる優しさこそつらいです。

自尊心が低いので、こんな私に、しかもこんな状態だからとはいえ

優しくされる要素はないと思ってしまう。

だから、優しくされるとなんだか責められているようで、

優しさを素直に受け取れない。

 

こんな自分は責められるべきなのに。

責められれば、自分が間違ってるんだって客観的にわかる。

誰か、どこをどうしたらいいか教えてほしい。

 

本音は誰にも言えない。

だから、こうやってはきだしてみる。

 

あの人みたいになろうなんて思う方が悪いのだ。

でも、自分だって、興味がないわけじゃないの。

だから、自分の目指す夢がわからなくて、心の声が聴けなくて、

どこに進めばいいかわからなくて

もうこんなんなら生きてるのが辛い

 

どうすすめたらいいかわからないの

何もかも煮詰まって、全部ギリギリなの

 

だから優しさを求めるけど、それが棘のようで

誰かに、何かに、導いてほしい

 

自分では進めなくなってしまった

 

 

季節が過ぎても変わらない

お久しぶりです。

すっかり秋めいて、風がひんやりしてきましたね。

冷え性体脂肪率も低いので、秋冬は手足から体が冷えて辛いです。

 

前回のブログから、結構経ってしまいました。

時間は経ったのに自分は前進できていないと、嫌でも思い知らされます。

 

進歩したことは、病院へ行ったこと。

広場恐怖という、パニック障害の一つの症状が出ているそうです。

自分で症状を調べたりしてなんとなくはわかっていたつもりでしたが、

診断されるとやはり悔しくて。

 

なぜ人が当たり前にできることが、私にはできないんだろう。

なぜ人が気にもとめないようなことに怯えるんだろう。

なぜ発作が起きてしまうんだろう。

なぜ、なぜ、、、

 

自分に対する嫌悪感が募るばかりです。

怖くて何もできない自分が嫌で、それを考えるとまた何もできなくて。

自分のすべきことができていないし、自分の歩くべきレールの上に

乗っかれていない感覚がする。

 

自分の人生なのに、なぜか、他者の視点ばかりが気になる。

 

人のことなんかどうでもいいはずなのに、なぜかある一人のことがひっかかる。

その人に比べて自分がまだまだだと思い知らされて、劣等感に苛まれる。

 

こんなはずじゃなかったな。

こんなはずでは。

 

いつになったら、発作も出なくなるんだろう。

いつになったら、自分の道を歩けるようになるんだろう。

いつになったら、「あのころは…」って笑い飛ばせるようになるんだろう。

 

今はまだ、想像もできないな。

 

でも、いつか笑って外を自由に歩き回りたい。

吐くことを気にせずに外食もしたいし、あちこち電車で行ってみたい。

おいしいものをたくさん食べて、きれいな景色を見てっていう、

当たり前のことや小さな幸せをまた感じられるようになりたい。

一週間頑張って、金曜のこの時間に一人で晩酌して心地よい時を過ごしたい。

土曜は家事を頑張って、日曜は買い物して、また月曜から頑張る。

そんなサイクルができたらいいな。

 

広場恐怖が治ったらしたいことがたくさんあるから、

まずはしたいことを考えて、ゆっくり治療に励もう。

 

明日も頑張るぞ。

 

 

framboise

名曲

 

世界に一つだけの花

 

すごくすごく、いい歌だなあと

最近の報道で流れてしみじみ思った。

 

私のこの歌との出会いは、小学生の時。

当時の担任の先生が、給食後の歯磨きの時間に流してくれた。

教室においてあったCDは、歯磨きの時間、

気づくと誰かがプレイヤーにセットして曲を流してくれていた。

 

クラスのみんなでこの曲の歌詞の意味を考えたこともあった。

その時は、ナンバーワンとオンリーワンの違いを学んだことだけが

はっきりと記憶に残っている。

そして、翌年持ちあがりのクラスで、音楽発表会でこの歌を歌った。

 

私のように、発売当時の記憶がある人ならほとんど、

そしてその時生まれていなかった人でさえ

この曲に何らかの思い出が結びづいているのではないだろうか。

 

当時でさえミリオンヒット、今ではファンの方の購買運動のおかげで

300万枚に上る見込みらしい。

 

 

SMAPの解散報道は、そこまで熱心なファンでない私にとっても

残念で悲しく、寂しいものである。

認知度・人気度ともに国民的アイドルと呼ぶにふさわしい。

そして、彼らの活動や歌が、何百万、何千万という人の心を支えたことは確かである。

 

そして、改めて「世界に一つだけの花」を聴いてみた。

この曲は、成長中の子供もさることながら、

大人により伝えたいメッセージだと思った。

大人になると、子供のように純粋に物事を見れない。

社会的な価値判断が、自分のものの見方になってゆく。

そうすると、そのものさしで自分の貴賤をはかり、

他者と比べ、幻滅することも少なくない。

 

そんな人への応援が込められた、あたたかい曲だ。

 

ある側面では人に劣るかもしれない。

でも、他の側面を考慮すればどちらが勝るかわからない。

それに、社会的な価値が高いことをしている人が幸せとは限らない。

 

周りに左右されない、強い人になれるように。

 

そんな人をそっと支えてくれる曲だ。

 

また、苦しくなったら力を借りよう。

そして、ありがとう。

 

framboise

ただ一つ

 

こんな自分だから、嫌なところや情けないところばかりだけど、

唯一自信を持てること、

自分の好きなところは

季節の移り変わりを感じて幸せに思えるところ。

 

たとえば、春。

日差しが柔らかくなって、気候も暖かくなる。

そうすると、雪解けや芽吹きを感じて、

何か新しいことが始まる予感で心が満たされる。

ワクワクする。

 

そして、夏。

強く刺すように照り付ける太陽や、うざったくなるほどの湿気。

でも、瑞々しい朝の空気は体に力をみなぎらせ、

昼の暑さを忘れさせる涼しげな夜風は

一日がよいものだったと思わせてくれる。

 

また、秋。

だんだんと涼しく冷たくなる風にものさびしい思いがしたり、

心地よい気候が勉強や読書に集中させてくれる。

見えない知らない遠い土地や、まだ見ぬ人・未来に

どきどきしながら待ちわびたり。

人恋しくなるのもこの季節。

 

さいごに、冬。

北から運ばれる雪風に鼻が冷たくなって、

マフラーに顔をうずめる朝の通学自転車。

澄んだ空気に心が洗われ、きらきらと瞬く星に

歳月の重みを感じる夜。

冬は寒いけれど、春の前の貴重な準備期間。

乾燥した空気も嫌いじゃない。

 

わたしはこんな季節の特徴も、季節のうつりかわりが

何よりも好きなのだ。

だから、植物が芽吹き花開き、実をつけ枯れてゆく様に

注意を払うことも好きであるし、

季節ごとに内容が変わるテレビCMも好きである。

 

そんな風に、自然が好きだから(虫は嫌いだけど)、

ごみごみした都会の喧騒や、せかせか急ぐ人たち、

賑やかな性格の人たちは苦手だ。

 

いろんな人がいるから、好き嫌いはあるけど

苦手な中でもちゃんと関わりあっていかなければならないけど

私は少し、そういう人が苦手だ。

 

おっとりしているのか、

でも責任感は強い方だ。

だから、肝心なところでミスをすることもある。

 

自分のこのゆっくりしたところが、

好きではあるけど短所でもある。

 

少しゆっくりしているけど、

やるべき時にはしっかりやる、そんな人になれたらな。

 

framboise

夜に、ふと。

 

先送りするから怖くなる。

 

そんなことはわかっているけど、

進む勇気も向き合う勇気もない。

 

自分ができないことが何より怖い。

失敗よりも、というか向き合えないのだから失敗以前に、

何もできないことを予測して怯えている。

 

今までは優等生タイプだった。

出来ないことは殆どなかったし、何でも自分からやってた。

でも、なぜか怖くなって向き合えなくなった。

それと同時に、自分のこころの声が聞こえなくなった。

だからどう進めばいいのかもわからない。

どうしたら自分が満足できるのか、わからない。

人の進んだ道が正解で唯一正しいのだと考えてしまう。

 

 

もし、怖がらずに進めたなら、

自分の進む道がわかるのかな。

進んでも、また迷うだけのような気もするし。

 

明日は進んでみようと、毎晩思う。

でも、できない。

 

昔、中学の先生に言われた。

『明日の自分を信じるな。』

この言葉がすごく刺さって、ずっと向き合ってきた。

それなのに、今は明日の自分ばかり信じて、

目の前の自分から、目の前の課題から目をそらしている。

 

昔のようにできたらな、戻れたらな。

いつもそう考える。

 

考えるだけではだめだ

行動にしなければ

 

でも失敗することが目に見えていたら行動できないよ

 

なぜ失敗する未来しか見えないのだろう